名言・座右の銘・生きる言葉

【完全オリジナル人生の名言】『行為を裁き、人を憎まず』【座右の銘】

 

今回は人生の名言(オリジナル)第2弾を書いてみたいと思います。

今まで私の考え方として、悪い行為や不真面目などがあった場合その人そのものをそういう人だと決めつけ、その人そのものを許せないような気持を持つことばかりでした。

 

しかし有難いことに、あることをきっかけに人を憎むこと、嫌いになることについて考えさせられることになりまして、今回はその内容も含め書いてみたいと思います。

 

きっかけは裁判員裁判への参加

私は元法務ですが、有難いことに裁判員裁判の裁判員に選任され実際に裁判官と同じ立場考えに触れる機会を得ることができました。そして当然すべての真理に参加させていただきました。

 

そこで被告人は当然犯罪行為を行い、一方で被害者がいるわけですが、被告人がなぜそのような状況、環境に追い込まれ、最終的に犯罪を実行するに至ったのかのすべてを聞き、知ることで、私の中の人に対する考え方が変わって行くのを感じつつありました。

 

犯罪行為は断罪されるべき、しかし行った人は・・・

もちろん犯罪を行ったわけですからしかるべき罰を受けるのは当然です。しかし、人が何か行為をする際には、背景に必ず理由があり、重大な行為であればあるほどその理由は単純なものではなくなるような気がします。

 

実際、被告人の犯罪行為は決して許されるものではないのですが、被告人自体をよく見て話を聞きながら、生き方が不器用な人であり、自分の中で自分なりに抑え続けていた不満がある日突然無意識に爆発したようなそんな内容であって、

果たしてこの人自体を悪者と本当に憎み、責めることがこの生きにくい現代の人間社会において、正しい行いなのか自問自答し、最終的に被告人という人そのものを否定、憎む、責めることは人間社会において間違った考え方かなと感じたのを強く覚えました。

 

座右の銘『行為を裁き、人を憎まず』の精神

結局この裁判判決を決めるときに、私の考えは、

『犯罪行為自体は強く断罪し、また裁かれるべき。ただし人については感情的な部分は捨て、その人自身が置かれていた環境は犯罪時の心理を推定し憎むのではなく、今後救われるような判断を提示していく』

とはっきりしていました。結局判決は裁判長の説法もあり、私の考えに近いものとなり、通常であれば経験できなかった、法の精神とは、裁判所の役割とはということを深く理解する勉強になりました。

この内容を端的なことわざ風にして、

『行為を砂漠、人は憎まず』

という経験から得た、オリジナルの格言を公開したいと思います。

 

なお、この格言で言う行為とは、犯罪だけでなくて、仕事のミスや、人間関係のもつれてきなこともすべて含められると思っています。

 

今後は私もこの格言を忘れずに、対人との関係を築いていくことができれば幸いですね。