
私がSVや人事だったころにはよく、「教育」について、いろんな人と話し合いをしたものです。
人間は1人1人違いますので、同じように教えてもできるようになる人とできない人に分かれたりしますよね。
そんなときに、よく聞かれた、「教育」とはということについて、今回は私なりの考え方を少し書いていこうと思います。
★目次(もくじ)
「教育」とは、「できるようになる」という結果まで
「教育」とは、とか、「教育」についてどう考えたら良いかと聞かれたときの私の回答はいつも同じですね。
「教育」とは、
人に教えるだけでなく、できるようになるまで育てること。
だと思いますと。
どのような場面でも、「教育」をお願いし期待するのは、ただ単に、説明や教えるだけのことではないですよね。
きちんと、何かができるようになったり、勉強ができるようになったりする結果を期待しているはずです。
でも、よく「教育」の場でみられるのは、この「説明しているだけ」や「教えるだけ」ということが多いのも、また実情だと思います。
『何度教えてもできるようにならないんですよ~』とか
『何度言ってもわからないんですよ!』と
言っているときの多くは、この「説明しているだけ」や「教えるだけ」であると思いますね。
また、もし仮に「教育」を受ける子が、勘が良かったり、のみ込みが早い子なら、すぐにマスターできることもあるかもしれませんが、それは教育者の「教育」が優秀というわけではなくて、「教育」を受ける子が優秀というだけかもしれません。
このように、相手の資質に頼って「教育」をしている“ふう”に勘違いしている人も多く、私は、「教育」とはそのようなものを言うとは思っていません。
私が考える「教育」とは、どんな子でも、誰であっても、何かができるようになったり、勉強ができるようになるという、「結果」が伴うまで育てるということであり、
そのような認識で教え育てるのが本来の「教育」であると思いますね。
「教育」とは、「説明する」とか「教えるだけ」というその過程の行為ではなくて、「できるようになったか」という結果で判断するということですね。
「教育」は、個々にあった限界まで教え育てることが大切
では、教育するにあたってどのように考えておくことが大切なのかというところを少し書いていきます。
まず、上記で書いた、『教えて育てる』という認識ですね。説明して終わりではなく、きちんと『育てる』という方策ができているかが重要です。
1人1人知識や考え方が違うので、自身で理解し行動してもらえるように、どのように導いて行くかというところですね。
この『自分で考える』そして『行動する』をどのように導くのか。ここは教育の中で一番重要なところの1つです。
そして、理想は、どんな人であってもできるように教え育てることですが、人間は1人1人違いますので、実際にはその人それぞれの限界まで(できるところまで)教え育てるという認識も大切です。
どのように教育しても、1人1人限界が違いますから、それぞれのできることが違ってきますよね。
個々の能力差によってもそうですが、例えば、いきなり数式の公式を教えて、因数分解の問題を小学1年生にやらせようと思っても絶対に無理ですよね。知識もそうですが、そこまでの理解力が育っていないですし。
一方で、高校生であれば、それまでの教育で得られた知見がありますから、少しヒントを教えるだけですぐに解けるようになります。
このようにその人それぞれに合わせた、できる範囲で教え育てるという認識が大切ですね。
「教育」は、大きいことも小さいことも日頃の積み重ねと継続が重要です。教育とは積み重ねの上に、新たな「教育」が成り立っていくものですからね。
あとは、表面や見た目からはわからないことですが、中には、どれだけ教えてもできないこともやっぱりあります。
そのような場合、時間や必要性があれば、できるところからさかのぼって教えれば良いのですが、学校や会社ではそうは行かないですよね。
高校で、中学2年の問題を解けないからっといって、中学2年の「教育」をすることはできないですから。
この原因についても、その段階に来るまでの教育不足ということが多いです。
このような場合も、現時点でのその人の限界まで教え育てて、なんとか最高のパフォーマンスを発揮してもらうという認識が大切になってきますよね。
このように、できない理由は、実は能力ではなく教育不足ということも多々あります。
今できないからと、安易に可能性を潰さずに、小さなところでもきちんと教育できているかを見つめつつ、育てていくことが一番大切だと思います。
そして、その差は育てば育つほど、大きくなり、取り返すことが難しくもなっていくものです。
「教育」とは、教えながら育てていくことの積み重ねであり、それが積み重なって「結果」として表れたときに、達成できるものだと思いますね。