
磯野貴理子さんが離婚の理由についてある番組内で語ったというニュースを見ました。
磯野さんの夫は24歳年下で、『自分の子供が欲しいという』ということが離婚の理由であったとのことでした。
この離婚に関する話し合いにおいて、
『自分の子供が欲しいという』という夫に対し、
『うんうん。わかったわかった。自然なことだよ、それは当たり前のことじゃないの』
と回答したという磯野さんのその振る舞いが立派だったと、称賛も多く見られましたね。
私もこのような流れには同感でしたが『心が強い人』という言葉を見たときに、これは違うかなと感じ、今回は、
「心の強い人なんて本当はいない」
ということについて語ってみたいと思います。
★目次(もくじ)
心が強い人は本当はいない
あの人は「心が強いね~」とか「メンタルが強いね~」などと称賛の意味を込めて言われることがあると思います。
しかし、感受性などの差はあれど、心が強い人というのは本当はいないと思っています。
一般的に言われる心の強い人とは、悲しみやつらさに動じないように見えたりするので、そのようにイメージしがちですが、そのような人も誰にも見えないところで泣いたり、落ち込んだりしているはずです。
何と言っても、人は気持ちと感情の生き物ですから、何が起こっても感情一つ動かず常に鉄のように強い心を持てる人はやはりいないと考える方が自然であると思いますね。
『心が強い』とは、強く我慢や辛抱ができるといえる
しかし、『心が強い』という言葉は一般的にも使われることがあると思います。
実際この『心が強い』という意味はどのようなものなのでしょうか。
私は『心が強い』とは、『我慢や辛抱が強くできる』ことだと言い換えることができると思っています。
今回の離婚の話においても、夫の理由に対し、磯野さんは
『うんうん。わかったわかった。自然なことだよ、それは当たり前のことじゃないの』
と回答したとありますが、この本心はわかったという納得半分、我慢辛さ半分ではないかと推測します。
一般的に考えれば、元々24歳下の男性と結婚する際に、子供については十分話をされてきたはずですし、正直何を今更という気持ちは非常に強いことも事実だと思います。
しかし、そのような山のようにある言いたいことや本心をぶちまけたところで、離婚という現実は避けることができないと理解していたと思いますので、
このような、自分の言い分や気持ちを強くぐっとこらえて、辛抱し納得半分側の言葉を選び回答したことによって『強い心』と称賛されたのでしょうから、
やはり『強い心』とは、我慢や辛抱を強くできるということと言えると思います。
人の心は気持ちや感情に左右され弱い だからこそ『人』らしい
しかし、人は空気を読み、察する能力もある生き物ですから、他人の感情や気持ちを推し測って慮ったり、同情したりなど、相手の感情や本心を敏感に感じ取るようなところもあると思います。
ですので、本人が強い心を演じ我慢やつらさを隠していたとしても、逆にそれが相手に自然伝わっていってしまい、その気持ちに共鳴し見ている方もつらくなってくるというような場面もありますよね。
確かに、『強い心』を演じて振る舞うのは、大人ですし、かっこいいときもあると思います。
でも、その裏には強く我慢し辛抱する心が存在していることもわかっています。ときには、弱い心をありのまま見せたとしても、それはそれで人らしくて良いものだなとも思うわけですね。
弱さを見せられること それも人
そして、基本的には人間以外の動物は『弱さ』というものをぎりぎりまで見せない傾向があります。
これは、自然界の掟として弱肉強食の中では、弱さを見せたものが真っ先に狙われる=命を落とすということに直結しているからです。
しかし人は、誰かに弱さを見せるときがありますし、弱さを見せられたときには、自然に助けようと考えたり、何とかしてあげようと考える生き物ですよね。
誰かに強さばかりじゃなくて、弱さを見せられるということは、ほかの動物にはない、人らしいものだと思うわけです。
泣きたくなったら気のすむまで泣けばいい と思います
離婚の話をする磯野さんの姿は本当にかっこよく素敵でした。
しかし、世の中強い心を演じられる人ばかりではないと思います。また普段強い心を演じることができる人でも、心配事がたまたまたくさん重なったときや、心配事が大きすぎたときには、強い人を演じることがとても苦しくなるかもしれません。
でも、そんなときは自分の感情に正直になれば良いと思います。
泣きたくなったら、気がすむまで泣けば良いと思います。
弱さを見せたからこそ、助けてくれる人や初めて気づくこともあると思いますからね。
いつからか人は強い生き物で、人の心も強いほうが良いと勝手にイメージづけられていますが、そんなことはないはずです。
人は弱い生き物ですし、人の心は弱いものですから、人ですし、人らしさであると思いますね。