
有名人の不倫騒動が巻き起きこったりすると、報道が一気に過熱し最初に行われるのが謝罪会見でしょうか。
この謝罪会見を見るたびに常々疑問に思うのが、TVのワイドショーなどで謝罪している様子は誰に向けられたものなのかということです。
このようにTVで放送すれば視聴者に向けて謝罪しているような印象も受け、その必要が本当にあるのか疑問に思うわけです。
そこで、今回は不倫について、犯罪ではなく、当事者間だけの問題などということについて、一度確認の意味を含めて書いてみたいと思います。
なお、不倫という行為は犯罪ではありませんが、当然相応の報いは受けることは多いです。そのあたりはこちらで少し書いています。

★目次(もくじ)
不倫は犯罪ではない
さて、不倫についてまず言っておきたいことは、
不倫は犯罪ではありません!
ということでしょうか。
有名人も不倫問題があった場合、交通事故やドラック系の問題を起こしたときと同じようにTVでニュースになったりしますが、不倫は法律違反ではないのでこの報道の仕方次第では疑問に感じることがあります。
もし違法行為をした場合には、法治国家の国民として法律を守る義務に違反したわけですから、関係者や他の国民に対し、迷惑や心配をかけたなどと謝罪することは理にかなっています。
しかし不倫は犯罪行為ではありませんので、報道で見られるような国民や全く関係のない他の人に謝罪する必要は全くないと感じます。
ただし、民事上の責任で不法行為に問われる可能性はありますのでこちらでは関係者にしっかり謝罪し反省が求められることと思います。
例えば、同じような不法行為として、借金したが返済期限までに支払いができずに遅れた場合なども該当しますが、有名人が借金して返済期限に支払いが遅れただけで、TVのニュースになって袋叩きにあうものでしょうか。
お金の返済が遅れのは、貸した人の信頼や信用を裏切る行為ですが、不倫も同じく相手の信頼や信用を裏切る行為には変わりません。
それ以外の無関係な人には一切迷惑が掛かっていないはずであるのに、過熱する不倫報道はどこに向けているのかと思うときがも多いのも事実です。
不倫がだめなものという理由は明確に説明できないもの
単純明快に、「不倫はなぜいけないものなのか」を明確に説明できる人はいるのでしょうか。
それぞれの配偶者などを裏切る行為という点でだめだと考えることもできますが、世の中には配偶者などの公認の上での不倫関係なども存在しており、当事者が特に問題としていなければ、何の問題もない行為でもあります。
ですので、私も何となく良くないことと感じることはありますが、一概にだめである理由が明確に存在するとは思っていません。
ましてや、関係のない他人がとやかく言ったり、謝罪を要求することには理解はできるものではありません。
TVでも不倫報道を取り上げる際に、明確に
「不倫とは〇〇を理由として絶対許されないものとなっている」
などと聞いたことは一度もありませんからね。
いけない理由と根拠がはっきりしていないことについて、全く当事者ではない一部の人たちが過剰に不倫叩きをするさまは見ていてなかなか違和感があることであると感じるわけです。
不倫問題は当事者間だけの問題である
そして、不倫問題の特徴といえばまさにこれだと思います。
基本的には、不倫は当事者以外には不利益がなく関係ありません。
ですから、関係者の間できちんと解決すればそれで良しであり、終わる問題です。
例えば、他人が何を言おうが、
「不倫された方が、不倫したほうを許す」
と言うのであれば、もうそれで解決することです。
このような、違法行為でもない当事者間の問題をあたかも大事件のように、または犯罪行為のニュースと同等のような取り扱いをしている報道は、
単に当該者のプライベート問題にズカズカと土足で立ち入り、数人間のプライベートな問題を大事件のように白日の下にさらすことをしているだけです。
もしかしたら、不倫報道がなければ世に知られることがなく、離婚はしなかったかもしれないようなケースが、報道されてしまったため、知人や親族等にも知られ世間体なども影響し離婚をせざるを得なくなった。
というようなことが起きていたとしても全くあり得ない話ではないですよね。
もし不倫された方がそっと許そうと思っても、過熱報道があってしまっては、結果が変わってしまうかもしれない。そんな他人の幸せを一方的に壊してしまうような面もあります。
不倫は当事者間で解決すれば良いだけの問題です。
不倫問題が炎上するのは、不倫にかこつけて嫌いな人を叩いているだけ
不倫報道がなされると、大小はありますが当事者本人はSNSなどでも叩かれます。
先ほどから書いてきたように、不倫は当事者間のみの問題なので他人がとやかく言うべきことではないところなのですが、なぜか叩かれます。
この叩かれる理由を考えてみるとおそらくとても単純で、自分の嫌いな人物が不倫報道されたときに、これにかこつけて、嫌いであるという部分を必死で表現したり、最悪な奴だなどと書いて憂さ晴らしや優越感に浸っているだけということではないでしょうか。
ですから、これが不倫でなくても、結局何をやっても単に嫌われている人は叩かれることになっていて、ニュースや報道などがそのはけ口として利用されているだけであると考えも理屈も通ってきますよね。
このような傾向は永遠に続いていくものでしょう。
他人の不倫は本人同士の問題なので肯定も否定もしないし興味がない
ここまで、不倫は当事者の問題で他人が何か言うようなものではないということを書いてきましたが、かといって、では私は不倫容認派であるかといえば、それもまったく違います。
重ね重ねではありますが、不倫は犯罪行為でもなくその当事者間だけの問題なので、私は特に肯定も否定もなく、
当事者が、それで良いでのあればそれで良いし、ダメだと思うならダメ
で良いと思うだけです。
そして、他人の不倫話には全く興味もありません。なぜなら不倫の行く末はおおよそが悲惨な結末が待っていて大きな代償を払うことになるからです。
そんな話は聞きたくもありませんからね。
不倫の代償として、
・慰謝料の支払い
・離婚
・会社を解雇
・知人、親族から付き合いの遮断
など、このようなリスクが高いことを知らずに、
有頂天になって自分に陶酔し、不倫におぼれた挙句、いざ制裁されるときになって初めて往生際悪く、なりふり構わず正当化しようとする姿などは本当にみっともないものですから。
いざいろいろなものを失ってみて、失望のどん底に落ち、後悔しているさまは想像するに難くないことです。
今の生活が幸せと思うなら、自分の不倫にも、他人の不倫にも、興味をもたないことが最善であると思うわけです。