
昨日、某有名女性ボーカリストのお墓にお参りに行ってきました。
私自身、ときには「人はなぜ生きているのか」などと哲学めいたことを考えてしまうこともあったりし、彼女のお墓に行けば何か気づけることがある予感はしていました。
そして「人が生きている価値」について、少しだけ答えを教えてもらった気持ちになりましたので、今回は、この
「人が生きていることの価値」
について書いていきます。
★目次(もくじ)
人は死んでしまうと記憶から薄れていく
やはり人というものはどんな人気者であっても、死んでしまった時点から人々の記憶から薄れていくものです。
これは当然で、実際に会ったり、話をしたり、触れたり、見かけたりすることがなくなるわけですから、生活に身近な存在ではなくなってしまうことで自然に記憶から薄れていくことになります。
良くない記憶は増幅されていく
一方で、ネガティブ記憶は消えないどころか、増幅されていくこともあります。
例えば、事故や自殺で子供を失った親などは、
「あのときこうしておけば」とか「あのときなぜこう言ってあげられなかったのだろう」
などと、失った時点から後悔の念や自責の念が増幅されていき、ネガティブな記憶はより強く残っていくこともまた多いです。
もし自殺などを考えている人がいたら、あなたを失ったらこのような自責の念や後悔という十字架を背負って生き続けていく人が必ずいることは知っておいてください。
生きているからこそ、そこに価値がある
このように、人は死んでしまうと基本的には人々の記憶から薄れていき、より強くなるのはネガティブな記憶ばかりです。
そして今回、彼女のお墓で手を合わせてお祈りをしているときに、ふと生前の彼女がライブで歌っている笑顔と、山のような観客が聞き入っている情景が見えました。
それは一瞬のことで、すぐにブラックアウトし同時に目を開けると、彼女のお墓が寂しそうにたたずんでいます。
そこでハッと、「人が生きていることの価値、意味」に気づきました。
彼女ほどの有名アーティストであれば、もしこの場所に生きて存在していたらとても多くの人々が一目見ようと大挙しているはずです。しかし、今彼女のお墓の前には私1人です。
あれだけ有名な彼女でさえ、骨になりお墓に入ってしまうと大挙して押し寄せる人々はいなくなるわけです。
この差は、まさしく生きているか死んでいるかの差であり、人が生きている価値というものは、この
「生きている」
だけでも天と地ほどの差があるということを教えられた思いでした。
人は「生きている」だけでも、そこにこそ価値があるということです。
ですから、限界を超えてしまい死んでしまいたいようなときもあるでしょうし、ふとこの世から消えてしまいたい気持ちに襲われるときもあるでしょう。
しかし、死んでしまうことよりも、人は「生きている」ことにこそ、それだけで尊い価値があります。
深く悩んだり、限界を感じるときは全く知らない人でもいいので
「助けて」
と一言つぶやいてみてください。必ず助けてくれる人はいます。
私は彼女に
「人は生きていること、そこに価値がある」
ということを教えてもらいました。このことは一生忘れられないと思います。
最後に、彼女の墓碑の横に設置されたパネルに刻まれていた言葉を引用で記しておきたいと思います。
負けないでもう少し
最後まで 走りぬけて
どんなに 離れてても 心は そばにいるわ
追いかけて 遥かな夢を
もう負けそうだと思ったとき、ひょっとしたらもう少しのところまで来ているのかもしれない。だから決めた最後まで走り抜けてみよう。
どんなに離れていても、見えなくても、あの人の心はあなたの心の中でいつでもそばにいます。
人生の中では、多くの「負ける」もあるでしょう。でも「生きる」の負けるだけには、絶対に自分から負けないで、そんなメッセージを伝えて終わりたいと思います。