
連休も終盤に入ってきましたね。
10代の自殺率が高いのは長期連休明けというデータもあります。
どうか、休み明けに絶望を感じ死なないで、新しい扉が見つかるまで生きてほしいと思います。
経験談ですが、残された方は解放されることのない後悔の呪縛と自らの無力さを嫌というほど感じて生きていくものです。
もし休み明けが絶望や苦しみと感じる人がいたら、なんとか最後まで読んでみてくださいね。
★目次(もくじ)
死んだ方が楽になるという気持ちは理解できる
この気持ち本当にわかるんです。
現状で何一つ良いことも楽しいこともなく、絶望、苦しみやストレスしかないというときに死んだ方が誰にも迷惑をかけずに楽になれて、一番良い選択だと思う気持ちは理解できます。
正直死んでしまえば無になりますから、何もかもから解放されて生まれ変わることができると感じることも理解できます。
決してそう感じることをきれいごとで否定しようとは思っていません。
死への衝動は突発的にやってくる
そんな気持ちを抱えている日々の中で、自分でも予想できない瞬間に死への衝動は突然やってきます。ある日、ある時突然です。
これは自分自身でも予測できないですし、何がきっかけになるかも全くわからないことです。
ある日、ある時、防ぎようのない突発的な死への衝動がやってくるということは認識しておいてください。
死なないで生きてほしい
これはきれいごとで言っているわけではありません。
私自身も実際に、身近な人や友人を自殺で失っている経験があるから言いたいことなんです。
世の中には死んだら負けとか、まったくこのような死への理解がない、無知なバカみたいなことを言う人が多くいますが、死んだら負けなんていうことは他人が言えることではないものです。
本人がどれだけ苦しみ、絶望したのかを本当に理解できる人であれば、死んだら負けという概念自体が全くあてはまらないことがわかるからです。
だから、私はとにかく『今死なずに生きてほしい』ということを言い続けています。
本当に死んでしまうときの死への衝動はある日、ある時突然何の前触れもなく来ることが多いです。
ですから、そんなときには『今死なずに生きてほしい』という言葉を思い出してほしいです。
なぜ死んではいけないのか? 生きてほしいのか
私自身は死んだことがないので、死んだ人の気持ちはわかりませんが、生きてほしいと願う気持ちの方は心の底から本当に理解できます。
まず、『なぜ死んではいけないのか?』という質問の正解は正直わからないと思っています。
例えば、親が悲しむからというのも一理あるでしょうが、では親のために自分自身が限界以上に我慢をしなければいけないかと言われれば、回答は難しいと思います。
ですから、『なぜ死んではいけないのか?』と聞かれるときには、
『今は死なずに生きてほしいと願っている』ということを伝えるようにしています。
この『生きてほしいと願っている』ということは、少なくても私自身は本心でそう思っているのではっきりと伝えられます。
そして『死なないでほしい』と言える理由として、私が親しい異性の友人を自殺で亡くしたときに
・実際にその友人のの両親の姿や喪失感に触れ心が張り裂けそうになったこと
・それまで勇気づけていた自分自身(人間)の本当の無力さを知ったこと
という経験があったことが背景にあります。
友人であった私の喪失感も数か月はふとぼんやりしたり、考え込んでしまうほどのものでしたから、
友人の両親の喪失感がどれほどのものだったのか、想像に容易いものであるのことは確信できます。
『なんであのときこう言ってあげれなかったのか』
『なんであのときもっと話をきいてあげられなかったのか』
『なんであのときそばにいてあげなかったのか』
残された方は終わりの見えない後悔の十字架を背負って生きる道を強いられることになります。
だから『死なないで生きてほしい』と伝えたいわけです。
永遠に降り続く雨はない、永遠にかかる虹もない
森羅万象永遠に続くものは唯一無二、『時が流れる』ということだけです。
きれいごとを言うわけではありませんし、もし絶望や苦しみを抱えていれば今は信じられないかもしれませんが、
永遠に降り続く雨がないように、永遠に続く絶望や苦しみはないと言いたいです。
どんなに不変(変わるわけがない)と感じても、物事は必ず変わる時が来ます。
これは必ずです。
ですから『今は死なずに生きてほしい』、私はそう言い続けていきたいです。
上記で書いたように、死への衝撃は何の前触れもなく、ある日、ある時突発的にやってきます。
もし、そのように追い込まれたときが来たのなら、とにかくこの記事を思い出して読み返してみてください。
どこにも相談や悩み事を打ち明けられないときには、このブログの問い合わせフォームから相談してくれれば全力で『生きてほしい』を伝えますので。
あなたに死んでほしいと願う人より、生きてほしいと願う人、生きていてくれるだけで嬉しく思う人がどれだけ多いことか、理解してもらえればありがたいですね。