
働き方改革というワードを聞くようになってから久しいですが、日に日に段々聞かなくなってきているような気もします。
実際私の会社でも、現在は「働き方改革」なんて言葉を聞くこともありませんし、議題や課題に上がっていることも見たことがありません。
政府による「働き方改革」とはひょっとしたらただのパフォーマンスであり、一体どこを目指していたのか、と疑問に感じている程です。
そして、世の中で同時期に聞くようになったものとして、
「働き方改革」で残業しないようにしたら「評価が下がった」または「評価が上がらなかった」
というものがあります。
実際に「働き方改革」は現代人を幸せにしてくれているのかどうかは知りませんが、今回はこの「残業しなくなったら評価が下がる」理由について書いてみます。
★目次(もくじ)
そもそも「働き方改革」は逆に進めている
残業をしなくなったら評価が下がる理由を見る前に、そもそも本当に現在「働き方改革」が進んでいるのか、現代人のためになっているのかについて少し見てみたいと思います。
結論から言えば、現代の「働き方改革」は狙い通りに進んでいるとは考えられず、現代人のためになっていません。(なっていないと考えるほうが妥当という意味で)
長々と説明するのは控えますが、政府と経団連の動きを見てもはっきりわかります。
政府:「働き方改革」で残業を減らせ!賃金引き上げろ!同一労働同賃金を取り入れろ!
一方、
経団連:そんなこと言うなら、40~50代ぐらいから早期リタイヤ、早期退職制度でやめさせるわ!
結果的には
一番賃金が上がる40~50代をリストラして賃金の上昇をカットし、
一番生活費がかかる40~50代をリストラして安住の生活を奪う、
政府が「働き方改革」を一方的に押し付ければ付けるほど、企業側はコストカットや高給取りをやめさせる方向に流れるわけです。
そして、日本の雇用システムは超旧式で、よほどのズバ抜けたスキルや人間性を持っていない限り、40~50代が再就職できることはほぼ叶いません。
唯一約束されているのは、公務員の天下りだけ、というのが現実です。
ですので、現状の「働き方改革」は、日本の超古い体質が締めている限り政府(官僚)の狙いとは逆方向に進むようなところが多々見られています。
残業しなくなったら評価が下がる理由
依然として、昭和から続く、超古臭い理不尽な雇用システムと評価システムが幅を利かせている企業はまだまだ多いものです。
超古い雇用システムとは、一斉新卒採用や面接重点主義(スキルとは関係ない人物重点主義=社交性があって、コミュニケーション力がうんたらかんたら・・・というやつ)であって、
超古い評価システムとは、結果や効率性は重視せず、頑張っている姿や雰囲気を重視する評価というものです。
そしてこれら昭和の負の遺産である、
理由に関わらず遅くまで会社に残って仕事をやっていると勝手に頑張っていると勘違いすること、
ならびに
結果や効率はともかく、努力している姿を評価すること、など
このようなものが蔓延しているのが現実で、これらが適正な形になるにはまだまだ時間がかかるものと思います。
そして、このような時代の中で育てられた世代が現代では部長クラスに就いていることも少なく、当然このような部長の評価の基準は超古い評価システムのままです。
ということは、このような合理的でない、超古い体質の評価基準に従えば、
理由に関わらず遅くまで会社に残って仕事をやっていると、勝手に頑張っていると勘違いしてくれ、良い評価の対象となり、
一方で、合理的にスケジューリングし、考え、定時にきっちり仕事を終わらせて帰る人は、ただそれだけで実際の結果や内容にかかわらず、評価されずらいということになっているわけです。
結局は上司が無能であればあるほど、このような結果になるはずで、現代の日本の企業にはまだまだこのような無能な上司が多いことも間違いのない事実であります。
昭和の負の遺産である、
ダラダラ仕事をやって残業代を無駄に出費させ、会社の利益を削ぐ行為(背信行為)が美徳とされてきた名残はまだまだ消えることなく、当分は続いていくものと思いますね。