
世間を騒がせている医大の不正入試。昔から行われていたようですが、なぜ今表に出てきたのでしょうか。
今回は入試ですから、この件で多大な影響を受けたのはまだ社会人経験がない若者が多く、本当に悲惨な出来事だと思いますね。やり直すわけにもいかないですし。
世の中には、このようなことはどこでも行われていると考えられますし、実際には知らない方が良いこともあります。
結局どこまで追及しても、結果は変わらないことの方が多いわけですから、今回巻き込まれてしまった人には、なるべく早く切り替えて、自分の幸せを得るための方向に進んで欲しいなと思います。
そして、実は同じ問題を抱えているものが新卒採用を含めた就職活動です。
医大の不正入試から就職活動に共通する問題について、今回は少し語ってみたいと思います。
★目次(もくじ)
医大不正入試
改めて説明するまでもないかもしれませんが、概要だけ書いてみます。
というものです。
現在、文科省主導で調査中として結果待ちですが、ほとぼりが冷めたころに、今更どうでもいいと言えるレベルの報告が、しっれっとされる程度で済まされると思います。
また、今後合否の操作を行わないという表明があるかどうかも非常に注目する点ですね(現時点でやめるとは言っていないので)。
私は、このように、この問題は解消には至らないと思っています。
では、なぜ国の機関が主導で調査し、対策を考えるはずなのに、完全に解消すること、根絶とならないのか、その理由を次から書いていきたいと思います。
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就職活動にも全く同じ問題があって解消はされない。
今回の不正入試と新卒を含めた就職活動には共通の問題点があります。
入試でも、就職活動でも、筆記試験があって最終的に面接というパターンが多いですよね。
そう、共通の問題とは「面接」です。
なぜ面接が問題なのか?
それは、合否や採否を実質この「面接」だけで決められる文化があるからです。
私も入試の時に面接を経験したことがあります。面接官はその学校の教員で、怖そうに見えました。回答は模範例というべきものを用意しそつなく行った記憶があります。
仮に、もし質問に自分の主張を入れた回答をしたり、何かを批判したりしたら結果はどうなっていたかわかりませんよね。
そして、実際そのような言動をして、落とされていたら、どう思うか?
ほとんどの人が面接で失敗したと考え、納得いかなくても、その結果を受け入れると思います。
就職活動なんて、もっと顕著ですよね。
就職活動で面接まで行って、もし落とされたら何が原因だと思うのか。それは十中八九、面接で失敗して落とされたと思うのではないでしょうか。
そうなんです。
面接で失敗したら(しただけで)落ちるし、不合格になることもある。そういう文化が当たり前のように存在しているんです。
これは、昭和前半の求人などを見てもわかります。
募集条件に、「20~25歳のスタイルの良い美しい女性」募集 とか書いてあるんです。採用は面接のみで即決です。
時代は流れ、生活水準は上がっても、就職活動に関しては、面接に比重を置く風潮は変わっていないということです。
そして、この面接の一番の問題点は、「判断基準があいまいで公表されない」というところにつきます。
どの組織もそうではないでしょうか?採否の結果や面接の採点内容について、どこか公表したり問い合わせたら教えてくれるところありますか?私の知る限りそんなところはないです。
だから、どんなことになっても面接結果を盾にすれば、合否や採否の判断は自由にできてしまうことになるんですね。
これは、一般人なら知っている、当然に行われていることでもあります。
また、「面接」については国も特に指導したりはしません。国自体が「面接」での判断について積極的に何か言うことはないです。
この「面接」以外については形式上、国(この場合は厚労省ですが)は採用活動時の差別的な理由での選考を禁止しています。
補足ですが、採用活動の際に、国が禁止している行為とは、性別での差別、年齢の差別や、本拠地や親の職業など本人と関係のない理由などで判断することを禁止しています。リーフレットなども作成して浸透させようとしています。
しかし、これらの現状は全く意味がないということになりますよね。だって気に入らないところがあれば、これらを理由にせず「面接」で落とせばいいのですから。
結局、採用活動に関する国からの禁止行為は実質意味が無いものなんですね。
ひょっとしたら、国は、人権侵害をしないという視点から不採用の際にこういうことを理由にするなと言っているだけなのかもしれませんが。
もしそうであっても、不正をさせないという観点からは意味がないものです。
結局、面接内容の結果を理由にすることで、入試の合否や、採用の採否は実質自由にできるということが、まさに共通の問題点であり、
そして、その「面接」に関する内容は公表されないし、しなくても良いわけですから、いつまでも不透明な判断、いうなれば不正が解消されないという絶対の理由となります。
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不正は必ず存在する。幸せが呼ぶ方へ切り替えよう。
上記で書いてきたように、今回の件でみれば、例え面接以外での加点や減点をなくしたとしても、裏で面接結果の比重を上げてしまえば同じことができてしまうので、根本的な解決には至らない、それが非常にもどかしく、残念であるものだと感じています。
私の会社にいた昔の社長(最終面接官)も、どのような意味で言ったのかはわかりませんが、「採用なんて不公平があるに決まっている。なきゃ面接する意味がないじゃないか。」と言っていましたし。
確かに私たちの生きている世界は公平ではないかもしれないし、不正なことも多いのかもしれません。
例えば、何事も順位が付きますし、同じ会社にいて、同じような仕事していても給料や待遇は全員同じじゃないですよね。
ですから、今回のこのような不正行為は表に出るか出ないかの違いこそあれ、どこにでも存在しているわけで、多くの人はその存在を認識していることも少なくないと思います。
だからこそ、今回の不正入試のこともそうですが、就職活動で不公正や不公平なことを感じたり、納得できないことがあったとしても、そこにこだわって、縛られて、一瞬でも歩みを止めてしまうのはもったいないと感じています。
今の自分には学校や会社の不正を変えることはできないのですから。
こういうときにこそ、自分を大切に考え、今の自分に「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極め、自分に変えられるもの、できることを探して切り替えていく。
そして自分を、幸せが呼ぶ方へ導いていって欲しいなと思うのです。
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