
最近良く、大昔から人は根本的にやっぱり変わらないんだと思っています。
人間は動物ですからその本能により支配される部分はありますが、高い知能と理性をもって何とか先進的な唯一の生き物として存在しようと現代まで生きてきたのだと思います。
しかし事実として、この現代でロシア戦争を目のあたりにし、やはり人間も普段から模範、規律、秩序、正義などの掲げ、駆使し、根本的な自分たちの弱さに気づかないふりをしているだけで、結局古代から人間の弱さの歴史はひたすら続いているだけと確信しています。
今回はそんな、現代の人間の矛盾的な思考と生き方について指摘してみたいと思います。
★目次(もくじ)
他人に判断させる余地がある限り、本当のリスクはなくならない
日々のどんな些細なリスクマネジメントにおいても、またどんなに優れた理想や考えを持っている人であっても、ほんの一部でも他人に判断させる要素がある限り、そこには大きなリスクがあります。
それは日々自分がどんなに、マナー、ルール、正義などを良しとし、言動していたとしても、他人の行動に左右される要素がある限り、いつでも考え通りに行かず、裏切られることがあることと同義です。
例えば、自分が交通ルールをどんなに守っていても、交通違反の車が突っ込んできたとしたら、自分の言動と意志だけでは、自身の身を守ることすら完璧と言えないですよね。
他人の判断に任せてしまうような場面があり得る限り、
それは言い換えれば、他人の意思が入り込む余地がある限り、この世のあらゆることについて、人は常にリスクが存在すると確実に認識する必要があります。
今何か重要なこと、大きなこと、気持ちを揺さぶるようなことを抱えている人は、この言葉を記憶し、最悪の結果の回避に生かしてもらえると幸いです。
どれだけ人が理想を語ろうと結局『力』にはかなわない
今回の戦争もそうですが上記で述べているように、人間は生き物であり、どれだけ思考や表現で強がっても結局他の生き物と同じ生き方しかできないのははっきりしています。
ただしこれは現時点までの、現代の人間についてではありますが。
この世に存在するあらゆるものの絶対の法則として、最終的に『力』がある者には誰もかなわないのは紛れもない事実です。
今でも紛争は続いており、それまでに犠牲になった人は数万人と言われていますが、その一人一人にそれぞれ自分だけの人生があり、正義があったはずで、
現代の、一人一人が生まれながらにして自由に現代的な生き方が保証されるべきという、基本的人権の考え方や、そのような考えを推進してきた先進国は、今このときまでに何ができているというのでしょうか?
そして数万人の人々の基本的人権は、いともたやすく『力』の支配に侵害され、無念に返されている。
こんな矛盾に目を背けている現代人は、太古から基本的に変わっていないと思うところです。
命の価値はこの世の何よりも重い、なんていう人も現代にはとても多くいますし、そのような教育に矛盾を感じている人もほぼいないと思いますので特に否定はしませんが、
ただやはり、例えばお金のために人が傷ついたり、亡くなったりしたというニュースは、関係のない人にとっては特段に気にも留めないほど良くあると思いますが、
ある一面では、命よりもお金の方が価値があるという矛盾、そして事件処罰の結果が加害者は懲役〇年 などと被害者よりも人間的な生き方が優先されるという矛盾に対しては、現代のほころびの1つであるのではないでしょうか。
現代社会も戦争もそうですが、一部の力がある者による影響力が強すぎて、すでに崩壊していることは多くの人間が気付いていると思います。1人の判断で数万人が被害を受けることに、現代人は何を考えるべきか。
一方でそう思わないための対案、思想などが見えないため誰も見て見ぬふりをしているしかできていないのも事実だと思います。
この思想に基づく人間秩序が生み出されたときに人類は、古代の人間から進化できた思えるのだと思いますが、今は戦争が1日も早く止まってくれることを心から祈っています。