
私は過去に人事の経験もあります。ですので実際に会社や組織での経験をもとに今回は
「無能な人が出世する」理由と
「管理職に能力のない人が多い」のはなぜか、
という点について書いていきたいと思います。
★目次(もくじ)
なぜ「無能な人が出世する」のか その理由
世の中ではよく言われることの多い、「無能な人ほど出世する」という言葉。
これについては基本的には正しいと思うので、私としても特に異論はないところですが、実際には、この「無能」のみでは半分だけ正しいにとどまると考えています。
「無能な人ほど出世する」ためにはさらに半分別の能力も必要だと考えており、ズバリ言ってしまえば、そのあとの半分の能力は「イエスマン能力」です。
おそらく、中には「コミュニケーション能力」ではないかと考える人もいると思いますが、単に「コミュニケーション能力」が高いだけでは、少し違うことになります。
なぜなら現代の日本社会では、例え「コミュニケ-ション能力」が高くても、自分の意見を通そうとする人、自由に述べる人、欧米のようにはっきりものを言う人は遠ざけられる傾向があるからです。
ですから、「イエスマン能力」こそが日本では必須です。
これは逆に考えてみれば、「コミュニケーション能力」はないが「イエスマン能力」は高いという人が出世できる社会であることからも、間違っていないものと言えます。
そして、「無能」な人に「イエスマン能力」が組み合わされば、どんな会社にいても良く思われ、出世できる存在になれます。
その理由としては、この「無能」な「イエスマン」は、
同僚、先輩や上司にとって使いやすい駒のような存在になりやすく(ここに能力は関係しない)、メイン担当で仕事受けたり、責任ある仕事を単独で任されることが基本的にほぼありません
常に誰かにくっついて仕事をしたり、プロジェクトに参加することが多く、その仕事やプロジェクトが成功すれば、功労者の1人として、失敗してもメイン担当ではないので重い責任を負うことがありません。
これを、チームの外から見てみると、
プロジェクトの成功にはかかわりつつ大きな失敗はなく、仕事に関しても目立って仕事ができるわけではないが失敗がなく安定している。と映ることになります。
ということですので、「無能」な「イエスマン」は評価されやすく、結果として出世しやすくなっていると言えます。
会社内という小さな村組織での評価には、能力の優劣などはあまり関係なく直属の上司の印象や好みで決定される例は山ほど見てきました。
また、己の欲や出世のためにあえてこういうことをやっている人もいます。そういう人は「腰ぎんちゃく」とでも呼んでおきましょうか(実際同僚がそう呼んでいたので)。
当時の会社でもまさに「腰ぎんちゃく」といえる人はそれなりにいました。
一番強烈だったのは、会社に来てから帰るまで、ほぼ2人セットで過ごしているマネージャーと部下ですね。
面談も、昼食も、帰りの飲みも接待も全部一緒(笑)。さすがに気味が悪かったです。
結局その「腰ぎんちゃく」は、社内でもダントツの遅刻常習者で、たばこ休憩をフル活用して無理やり残業し毎月必ず残業代をつけるなど、素行がかなり悪かったにもかかわらず、評価され事業部長にまで出世しました。
このように「イエスマン」というだけでも、現代日本社会ではまだまだ能力にかかわらず評価され出世しやすいというのは間違いありません。
そして、それが「無能」であれば目立ちますから、世間で言われるように、なぜか「無能な人ほど出世する」というイメージを作っているのではないかと考えます。
そして、そのような「無能」な人が順調に評価され、マネージャーになって自分の部下を評価するとしましょう。
当然その「無能」な人は、自分と同類である姿勢の人しか評価しませんから、その部署では「無能」がさらに「無能」を呼ぶという構図になっていき、「無能」な「イエスマン」というお気に入りだけがただひたすら残っていくことになります。
こうして無能な人がいずれ管理職になっていき、自分に似たような人を評価していく結果、多くの日本の会社では、無能な人ほど、評価され出世していくという流れができてしまっています。
そしてこの連鎖が続けば結果として、上に行けば行くほど相対的に無能な人がより存在する構図になりますよね。
ということで、次で管理職などに無能な人が多い理由を書いていきます。
管理職や部長に無能な人が多い理由
それは、上記で書いたように「無能な人が出世していく」ことです。無能な人はどこまで行っても無能ですからね。
他に、管理職や部長に無能な人が多い理由には、
無能な人が出世し、さらに無能な人を出世させることが続き、いわゆる中間管理職の前後に無能な人が集まってしまう現象
がおきているというところがあります。
能力のない人が無条件で出世できる限界としては部長程度が多いと考えられますから、そこからは上にも行けず、かといって下がってくることもなく、
このあたりから係長クラスまでは能力のない人がずらっと、まるでエスカレーターで順番待ちしているような状態になっているわけです。
彼らはそこで長い時間過ごすことになり、実質そこが終点でもあります。終点ということはいつまでもそこにいるということです。そんな人、皆さんの周りにもきっといますよね。
そしてもう1つ、本人の能力の限界を完全に超えすぎて何もできない状態になるのがこのあたりだからということがあります。
何をしたら、何を考えたら良いかさえ、はっきりわからない状態
でもあると表現すれば良いでしょうか。
例えば、~5人程度のチームであれば無能な人でも、まぁ何とかやっていけるものです。勝手になんとかなると言った方が良いかもしれませんが。
しかし、これが10人とか、30人の組織となったらどうでしょう。高い管理能力でしっかり管理をしていかないとまとまらないですよね。
当然、無能な人は元々自身では何か創ったり、成功させたりという経験がないので、このレベルになると自分の力では到底管理はできません。
それが顕著に現れてくるのが、部下に丸投げを始めたり、何でもかんでもただハンコを押すだけという行為ですよね。
そして、いずれ一番厄介な事をするようになります。そう、成果の横取りと責任の押し付けですね。
自分ができないことを隠したつもりで、下手な例え話などで部下に丸投げにし、うまくいけば自分の成果に、失敗すればいち早く上の連中に話を通し(同類だから理解が早い)、部下の責任にする「必殺技」を使い始める。
今までは、人の成果のおこぼれに預かりながら出世し、出世後は他人の功績は俺のもの、失敗の責任は部下のせい。
どこにでもいますよね? こういう管理職・・・
また一方で、能力があって出世していった人も管理職や部長クラスでとどまる理由が実はこれと同じです。
例えば、能力を認められて係長になって、また能力を認められて課長になる。しかし課長で止まってしまう。
この人は係長で結果を出せて、課長で結果を出せずに留まってしまうわけですから、係長レベルの能力と考えられますよね。
しかし、周りを見てください!その課長は、そのような理由で係長に降格していますか?していませんよね。日本の会社のほとんどがこのような状況ではないでしょうか。
ということは、
係長の能力しか持たない人が課長をやっているということであり、本来の能力を超えた役職に留まっている
ということになります。
これは先程の、能力がない人が留まるパターンと同じですよね。結局、能力のある人もない人(無能)のどちらも、
自身の能力の限界を超えた役職(地位)についたまま、そこで上にも下にも行けず留まっている
という構図であり、その役職の業務を遂行する能力がない人が、管理職や部長に就いたままの状態で見過ごされているという事実。
まさにこれが、
能力のない人が管理職や部長に多い理由
でもあります。
何でも良いのですが、常識で考えれば何かに挑戦させて、結果が出せなくてもそのポジションに留まることってまずありえないですよね。
挑戦させてダメだったら、そのステージに留まることはできずに元に戻るはずじゃないですか。
しかし!!日本の多くの会社は、挑戦させて結果が出なくても元に戻すということをしていません。この誰が考えても当たり前なことを、多くの会社は疑うことなく見過ごしたままなのです。
日本の社会では、年功序列の崩壊とか実力主義などと言われて久しいですが、結局采配を振るう側にこのような無能な人々が留まっている以上、虚しく空回りしているだけではないかと感じるところです。