
先日会社帰りで乗車していた丸ノ内線車内で、突然男同士が殴り合いの喧嘩を始めました。
結局その喧嘩を止めたのは私だったのですが、体験した当事者として、このようなときに絶対にやめてほしいと感じた行為があったので、今回はそのことについて書きたいと思います。
★目次(もくじ)
満員電車の弊害!? 車両内で「けんか」が発生
まずはこの時の喧嘩についてです。私の降りる駅の1つ手前の駅でそれは起きました。
電車が駅に到着し乗客が黙々と降りていく中で、不意に突然、
「お前、ふざけんなよー!」
という声が聞こえてきたので、私はそちらを振り返りました。
そこからは10メートルぐらい離れていたのではっきり見えませんでしたが、30代ぐらいの男性が座席に座っている50代ぐらいの男性に殴りかかっているようでした。
この喧嘩の原因は、接触によるトラブルだったと思われます。
電車はほぼ満員状態で、走行の際に荷物や体が触れたり接触して、我慢の限界を超えたようでした。
このようなことは決して珍しいことではないと思いますが、本当に満員電車は良いことが1つもありませんよね。
まず自分の「避難優先」は正しい
喧嘩が始まると、本当にクモの子を散らすように周辺がさっと空きます。
声をかけたり、なだめる人は誰一人なく、喧嘩をしている2人の周りには障害物がなくなり、遠くからでも何が起こっているのかよく見えました。
賛否あると思いますが、私はこういう場合、自身の身の安全確保が第一だと思うので、まず避難することは正しいと思います。
ですので、このようなときに自分の身の安全を確保するために、周りの乗客がまずは避難を優先し、その場を離れることは当然の選択であると考えます。
「事件化」すると「電車が運転停止」する
改めて、本当にあっという間に周りの人がいなくなったので、10メートルぐらい離れた場所にいた私にも何が起こっているのか見えるようになります。
30代ぐらいの男性が、座席に座ったままの50代ぐらいの男性に向かって、何かを叫びながら殴りかかっている様子が生々しく見えます、
座っているほうの男性は、一方的に殴られているような感じで、足や手を使って必死に防戦している様子でした。
私の位置からは遠かったので、そのうち終わるか、近くの誰かが止めに入るだろうと、余り気にすることもなく、再びスマホに目を落としていました。
直後、突然「やめてください!」という女性の叫び声が聞こえてきます。
その「絶叫」に驚いて、瞬間的にパッと顔を上げましたが、その声の主は不明で、車内で避難している集団の中の誰かのようでした。
そして、その声に勇気が湧いたのか、次は男性の声で、「やめろー!」と今度は小さな声で聞こえてきました。
やはりこちらも、声の主は避難した集団の中の誰かであると思いますが、違う方を見ながら言っているのか、私の視野の中では誰が言ったかわかりませんでした。
この時点で、すでに数回殴りつけ気持ちが少し収まったのか、睨んだまま手が止まっていたその30代ぐらいの男性は、それらの声が社内に響くと、再び興奮した様子で大声で何かを叫びながら殴り始めました。
私は、この女性の「絶叫」と男性のヤジるような言葉を聞き、殴りつけている男性が再び興奮したところで、このままでは職員や警察が来て事件化し、電車が完全に止まってしまう(運転停止)と感じました。
すでに再び殴りかかっていた男性が、止め時を見失っていたように感じたその瞬間、私は喧嘩をしている2人の方に向けて速足で歩き出しました。
そして、殴っている男性の右斜め前に立ち、彼の右上腕付近にポンポンと手をかけて、「まぁまぁ」「落ち着いてください」と声を掛けました。
殴っていた男性は、私の方をジロッと睨むと、殴る狙いを定めて動かしていた手を止め、その座っている男性に向かって、「ふざんじゃねーぞ」と言い、数秒睨んだ後そのまま電車を降りていきました。
最悪、巻き込まれることも覚悟して仲裁に入りましたが、何事もなく終わりほっとしたところで、元居た場所まで戻ろうと歩き出します。
そのとき、ふと運転席の方を見ると、カーテン越しにこちらをのぞき込んでいた電車の運転士と目が合いました。
私は、
「いや~助かった」「もう少しで電車が止まって危なかった」「わかるわかる・・・」
と心で呟きました。
実は、丸ノ内線はワンマン運転なので乗車している職員は運転士だけです。ですので、駅職員の応援を依頼したり、運転士がトラブルに巻き込まれてしまうと、
電車は確実に長時間止まることになります。
そういう意味で私は「助かった」思い、また運転士は、その表情からおそらく同じことを思ったのかなと感じました。
そして、この間、私以外に行動に出る人はいませんでした。
喧嘩が収まった後は何事もなかったかのように、いえ、むしろ不満そうな表情でスマホに目を落としている人が多かったことは、何とも言えぬ気持ちと同時にとても印象的でした。
そのとき「絶対にやめてほしい」こと
今回は、たまたま何事もなく収束しましたが、このような駅や電車内での喧嘩やトラブルのときに、当事者として強く感じた絶対にやめてほしい行為はこのようなものです。
・大声を出す、叫ぶこと
予期せぬトラブルが起こった瞬間、一瞬悲鳴のような声が上がるのは仕方ないと思います。
本当にやめてほしいのは、トラブルの当事者に対し、遠くから隠れてあおるように「やめろー」とか「迷惑です」などと大声で言ったり、叫んだりすることです。
これは何の抑止や解決にも繋がりません。
そればかりか、興奮しているトラブルの当事者を刺激し、仲裁している人が危険に巻き込まれる可能性が増えますので、大勢に紛れて勇気が湧くのかもしれませんが、無責任な叫びなどは絶対やめてほしいと思います。
遠くから見ているだけで何もしないなら、本当に何もしないべきだと思いますね。
実際に今回も、女性の叫び声で殴っている人がさらに興奮し、大声で何かを叫びながら殴り始めたことが、私が止めに入るきっかけになっています。
・写メや動画を取り始めること
これには、ひとこと言いたいです。
それ何に使うの? それどこで誰が見るためのものですか? と。
あと動画を撮影していることが見えれば、余計逆上しかねない危険もあります。今回もカシャっという音が何回か聞こえましたし、実際撮影している人は数人いました。
再び言いますが、遠くから見ているだけで何もしないなら、本当に何もするべきでないと思います。
・ヤジを飛ばすこと、ヤジるような事を言うこと
仲裁しているときに、誰が言ったかわからないように遠くから「やめろやめろー」などとヤジるように言うのはやめてください。
何の意味もないばかりか、トラブルの当事者が興奮しかねず、近くの人にリスクしかありません。
再度重ねて言いますが、遠くから見ているだけで何もしないなら、本当に何もしないべきだと思います。
もともとこういうことをする人の存在に関しては、特別興味はなかったのですが、実際このような体験をするにいたり、本当に迷惑なだけの存在だと知ることができました。

今の時代は選択が難しい
私自身は、街でトラブルにあっても基本的にはかかわらないタイプの人間なので、今回でも周りの人が無関心であるということはある意味間違いではないと考えています。
良かれと思って、財布を拾ったら泥棒扱いされたり、泣いている子供に声を掛けたら不審者扱いされたり、純粋な善意がかえって仇になってしまうような、そんな話も度々聞きますからね。
今回の喧嘩の仲裁でも、相手がナイフを持っていたりしたらどうなっていたかわかりません。もし何かあっても関わった人は残念だったね、だけで終わってしまいます。
このように現代では関わらないことが、唯一の正解のように思えることも少なくないと思います。
しかし、悲しいかな人というものは、無関心が正解だと思いつつも、考えたり、感情のある生き物ですから、何かを助けたり、人のためになることはやらなければと感じたり。
現代では、これをどこまでやれば正解といえるのか、その判断が本当に難しい世の中になったなと感じる出来事でもありました。
それでは~。