フリートーク(放談)

バカバカしい『暴力』否定理論

 

現代において暴力は何があっても許されないと唱える人が多いです。

別に私は暴力肯定派ではないですが、合理的理由のない、現代の限度を超える暴力反対論には否定の立場です。

 

現在の戦争だって結局力(暴力)が圧倒的に支配しており現代人は手をこまねいているだけで正義のヒーローがやってきて悪をたたくことは妄想の世界でしかありません。

結局暴力は止めようがなく、いかにうまく理論化してつきあうのか、今回はそんなことを書いてみたいと思います。

 

『暴力』は物理的なものだけではない

結局、『暴力』は物理的な手段に限ることではないということをまずは理解しておくことが重要です。

・力で殴ったりする暴力

・言葉の暴力

・態度の暴力

・経済的暴力

など類を挙げればたくさんあります。

そしてどの暴力も、結果として人を強制的に終わらせてしまう可能性のあるものしかありません。

叩かれれば神経の痛みが発生するが、心への暴力もまた傷深く残るものです。中には肉体的な傷よりも、長期間、または一生直らない傷だってありますよね。

 

現代では安易に物理的な暴力にだけ目を向けすぎているのではと危惧しているところです。

 

『暴力』には『暴力』でしか対処できない場合がある

世の人がどれだけ暴力を否定したとしても、やはり私は前面的に賛成しません。

なぜならこの世には、暴力に対しては暴力でしか対抗できないことがあふれているからです。

 

例えば戦争はどうでしょうか、力で責められた国は何もせずに過ごせますか。間違いなく、同種の暴力をもって反撃するはずです。

そうなんです。TVの素人コメンテーターが偉そうに語ったとして、侵略者の暴力には、防衛のための暴力で応じることが唯一の選択なのです。

 

これは一般的に言えば、『正当防衛』という正式に法律で認められている適法な権利行使です。

自分の身を守るために他に避けられる選択肢がない場合、暴力を否定せず、反撃をして良いというもので、正当防衛が認められれば罪には問われません。

 

心への暴力と物理的暴力に差はない

私の考えはこれです。

 

心への暴力(暴言、いじめなど)と物理的な暴力には基本的に差はないと思っています。

むしろ厳密に言えば、たいていの体の傷は治りますが、心に受けた大きな傷は一生直らないものもあります。また性被害は心の死にも匹敵します。

 

この暴力いったい何が違うんでしょうか?

 

現代人は、より先進的な自分を暗示するあまり、目に見える暴力ばかりに目をとられ、それを見つめることで自己満足し、本当の人の感覚をまだまだ忘れつづけていませんか?

 

『暴力』はダメ、そんなことはわかっています。でもその『暴力』ってなんですか?

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