こんにちは。ウィッフィーです。
ウィッフィーの打ち方にまだ慣れていないので、見ていないと、エヒッフィー とか ウェいっフィーとかになってたりします(笑)。
突然ですが、日本語って同じ意味をあらわす言葉ってたくさんありますよね。類義語とか同義語と言えば良いでしょうか。
そして、類義語の中にはまだまだ私の知らない言葉もたくさんあります。
そこで今回は、そんなよく知られていない日本語の中で、日常の生活でも密接に関係している「暗黙知」という言葉について書いていきたいと思います。
「暗黙知」という言葉を知っていれば、日常できっと役に立つことがあるはずです!
★目次(もくじ)
言葉に表せない知識。「暗黙知」=「経験知」の意味!
それでは、早速「暗黙知」(あんもくち) の意味についてです。
「暗黙知」とは、
認知の過程あるいは言葉に表せる知覚に対して、(全体的・部分的に)言葉に表せない・説明できない身体の作動を指す。
<以上、wikipediaから引用>
ん!? やはり言葉だけだと少し難しいです。いえ、やっぱりとても難しいですよね。
簡単に言ってしまえば、
『人がカンや経験則を元に行動した場合、その行動には根拠が無いものと思われがちですが、実は根拠はあって、それは上手に言葉としてあらわせないものでもあり、それを暗黙知と言いましょう』
という感じです。
例えば、職人さんなど一部を除き、現代の仕事の評価においては、いわゆる経験に基づく判断やそれに伴うカンの類というものは、数値や客観的に計測できないので、評価されないことも多いと思います。
面談で、
「この日は売上が上がっていますが何かあったのですか?」と聞かれたときに、
「過去の経験からなんとなくこの商品が売れるとわかりました」などと言ったら、
評価はありませんよね。少なくとも私の会社では確実にそうです。
しかし、そのような根拠となる「暗黙知」は、実は本当に存在しているのですね。
さらに「暗黙知」について調べてみると、自転車の例えがよく見られます。
大人になっていれば、ほとんどの人は自転車に乗れると思いますが、その乗り方を言葉だけでうまく説明できますか?
というものですね。
おそらく、多くの人は自転車に乗れる方法(実際乗っているときの操作方法や体の使い方などもですね)を言葉だけでは説明できないですよね。
自分のことを思い起こしても、『何回もチャレンジして、気づいたら体が慣れて乗れるようになっていた』としか言えないですから、もしこれを説明してくださいと言われたら確かに無理だと感じます。
また、「暗黙知」には、『言葉にされていない知識』 という定義もあるようです。
<以下、コトバンク からの引用>
暗黙知とは経験や勘に基づく知識のことで、個人はこれを言葉にされていない状態でもっている。
経営学者の野中郁次郎は、日本企業の研究において暗黙知をこのように定義し、形式知の対概念として用いた。
例えば、個人の技術やノウハウ、ものの見方や洞察が暗黙知に当てはまる。
日本企業では、個々の社員の暗黙知を形式知化し、組織で共有することによって知識を創造すると野中は主張した。
暗黙知の概念は、もともとハンガリーの科学哲学者マイケル・ポラニーが提唱した。
彼によれば、人はつねに言葉にできることよりも多くを知ることができる。個人がもつ知識には、言葉で表現できる部分と、言葉で表現できない部分とがあり、前者よりも後者のほうが多くを占めている。
ポラニーはこの後者を暗黙知とよんだ。つまり、野中が「まだ言葉にされていない知識」を暗黙知と考えるのに対し、ポラニーは「言葉にすることができない知識」を暗黙知と考えた。
<引用終わり>
本来言葉は、コミュニケーションを取るための手段として生まれてきたのだと思いますが、人の気持ちや感情などでも、言葉だけでは伝えられない、表現できないということは往々にしてありますよね。
言葉はあくまで伝達手段ですから、伝えられる限界があります。
どちらにしろ、『言葉にされていない知識』であっても『言葉にできない知識』であったとしても、共に言葉では伝えられない知識という面では同じですから、
このような言葉にできない知識を「暗黙知」と言うわけですね。
『カン』、『経験則』、『フィーリング』による判断は正しい選択
私たちは普段の生活の中で、たびたび経験やフィーリングを元に、さまざまな選択をする場面があったと思います。
そして、今までその選択については根拠がないものと考えたり、認識していたと思いますが、実はこれらは「暗黙知」から導かれた正しい判断だった、ということも少なからずあるということになります。
ですから、これから決断や判断するときの根拠が『カン』や『経験則』などの、『なんとなく』というものであっても、一方的に理不尽と決めつけず、この「暗黙知」という言葉を思い出していただきたいですね。
人間には、言葉で表現できるものだけではない、たくさんの知識や記憶が隠されていて、それは誰にでも必ずあるものだと思いますので。
ご参考になれば幸いです。